我が国ではどうしても”反省”がつきまとうから血湧き肉踊るといた戦争映画は、とくに第二次大戦後は作られなくなったが、米国ではひとつのジャンルとして確立されており今だに健在である。第一回のアカデミー賞受賞作「つばさ」を始めとして数々の名作が製作されてきた。第二次大戦前は当然のことながらヨーロッパ戦線を舞台にしたものが多い。中でもフォッカーD.7は第一次大戦のドイツ戦闘機中の最高傑作と言われ、「つばさ」「暁の偵察」「地獄の天使」等で活躍している。第二次大戦後は反ナチ、日本軍を敵にした戦争映画が大量に作られ、著しい打撃を受けたヨーロッパや日本の映画産業のなかにあって、アメリカだけは戦中から戦後にかけて、経済のみならず映画業界も大いに潤った。ハリウッドは積極的に戦争に加担し、前線の兵士を慰問するために映画を供給し戦地に女優を派遣したのである。当初、映画は重要産業の指定を受け映画人は召集の義務を免れていたが、後にクラーク・ゲーブルは航空隊少佐、タイロン・パワーは海兵隊大尉、ヘンリー・フォンダは海軍大尉。監督ではウィリアム・ワイラーが空軍大佐、フランク・キャプラが陸軍中佐、、ジョン・フォードが陸軍中佐など戦争に駆り出された。戦争映画、即ち航空映画とも置き換えられるようにヒコーキは戦争映画のスターであり、戦闘機を考証すれば時代がわかるという航空マニアは我が国でも多い。その被写体としての美しさはかのマリリン・モンロー(古いですね)もかなわないというファンもいれば、命がけの戦場でこそ確かめられる男同士の友情や、戦地で芽生えたロマンスにあこがれる人たちもいるだろう。戦争映画にこそ娯楽映画のおもしろさが凝縮されているのかも知れない。参考文献:キネマ旬報社刊「アメリカ映画史」。


地獄の天使(1930) 最後の突撃(1944)
コレヒドール戦記(1945)
戦場(1949)
鬼軍曹ザック(1950)  暁前の決断(1951) 
栄光何するものぞ(1952) 決戦攻撃命令(1952)