ヨーロッパ映画が力をなくしてから久しいが、そのきざしはサイレント映画初期の時代まで遡ることができる。フランスのモーリス・トゥールヌール、ドイツのエルンスト・ルビッチ、フリッツ・ラング、パウル・レニ、F.W.ムルナウ、スウェーデンのヴィクトール・シェーストレームたちのように、ヨーロッパで成功した監督の多くは、自ら進んであるいは招かれて早い時期にハリウッドに渡っているからである。もっとも、トゥールヌールはMGMの首脳と仲違いをして、スティルレルはガルボを伴って渡米したが彼自身は芽が出ず失意のうちに、またシェーストレームはアメリカ的な製作方法が肌に合わず早々にハリウッドを去っている。アメリカでは1930年代半ば頃まで存在していたスター・システムが絢爛たる世界を作り出していたが、ヨーロッパでは機能していなかった。このスター・システムが終焉を迎えた頃に渡米して成功したのがアルフレッド・ヒッチコックである。中小のスタジオが知恵を絞って紡ぎ出す手作りのヨーロッパ映画は、現代の大作映画全盛時代においてはハリウッドには叶わないのかも知れない。サイレント期のアヴァン・ギャルドや1960年代に始まったヌーベル・バーグに代表される小粋なヨーロッパ映画が復活する日が再び巡ってくるのだろうか。ルネ・クレール、ジュリアン・デゥヴィヴィエ、ジャン・ルノワールを生み出した映画発祥の地フランスと、戦後、ネオ・リアリズム映画で数々の名作を輩出したイタリアにはとくにがんばって欲しいものですね。

眠るパリ(1923)/幕間(1924) 伯林/大都会交響楽(1927) 
黄金時代(1930) 西部戦線一九一八年(1930)
炭坑(1931) 自由を我等に(1931)
マルセル・パニョルのマルセイユ三部作  マリウス(1931)、ファニー(1932)、セザール(1936) 
乙女の湖(1933)  ミモザ館(1934) 
  リリオム(1934)   かりそめの幸福(1935)
最後の戦闘機(1935) 不良青年(1936)
どん底(1936)  おかしなドラマ(1937) 
獣人(1938)  楽聖ベートーヴェン(1936) 
霧の波止場(1938)  格子なき牢獄(1938) 
曳き船(1941)  ほら男爵の冒険(1942) 
悪魔が夜来る(1942)  密告(1943)  
田園交響楽(1946) 聖バンサン(1947) 
犯罪河岸(1947) デデという娼婦(1947)
幸福の設計(1947) 恐るべき親たち(1948)
バラ色の人生(1948)  火の接吻(1949)  
にがい米(1949)  鉄格子の彼方(1949)  
オリーヴの下に平和はない(1950)  越境者(1950) 
輪舞(1950) ガラスの城(1950)
忘れられた人々(1950)  奇蹟は一度しか起こらない(1950) 
肉体の冠(1951) 令嬢ジュリー(1951) 
愛なき女(1951) ミラノの奇蹟(1951)
裁きは終りぬ(1951)    ヨーロッパ一九五一年(1952)
禁断の木の実(1952) 快楽(1952)
乱暴者(1952) ボルジア家の毒薬(1952)
巴里の気まぐれ娘(1953)  不良少女モニカ(1953)  
浮気なカロリーヌ(1953)  黄金の馬車(1953) 



ジュリアン・デュヴィヴィエ
Julien Duvivier

 1896年にフランス北部で生まれる。当初は俳優としてオデオン座の舞台に立っていた。やがて映画界に移り、助監督を経て19年に監督になるが、サイレント期は観るべき作品は少ない。しかし、トーキーになると花が開き、芸術至上主義の映画界にあって、出会いと別れ、数奇な運命に翻弄される人物等の通俗的なテーマが観客の好みに合って、とくに我が国で注目されるようになった。30年代に公開された作品の多くがヒットし、フランス映画黄金期を代表する監督のひとりである。ジャン・ギャバンの才能を見出し、売り出しに貢献したことでも名高い。。第二次大戦中は戦火を逃れてアメリカに渡り、
「運命の饗宴」を含む作品を手掛け、その一流職人としての技を発揮。戦後も故国に戻って精力的に活動を続けていたが、1967年にパリで運転中、心臓麻痺で急死した。

 にんじん(1932)  陽気なドン・カミロ(1951) 
 白き処女地(1934) パリの空の下セーヌは流れる(1951)
地の果てを行く(1935) ドン・カミロ頑張る(1953)
ドン・カミロ頑張る(1953)