1921年に禁酒法が施工され、一方、第一次大戦後の好景気に沸くアメリカでギャングが巨大な勢力を確立するようになり、ローリング・トゥエンティーズと呼ばれる時代を背景にそれまでの犯罪映画とは一線を画すギャング映画が発生した。先鞭をつけたのはパラマウントの「暗黒街」であり、当初はこのような都会派作品が主流だったが、トーキー時代に入り、機関銃の轟音やギャングの切る”たんか”が効果を発揮してこの種の映画はさらにブームとなった。ワーナーの花形プロデューサー、ダリル・F・ザナックが推進したリアリズム・ギャング映画に新鮮さが感じられるようになり、アル・カポネ、ジョン・デリンジャーをはじめとする実在のギャングをモデルにした傑作が生まれた。後年のギャング映画は、この頃に確立されたパターンを踏襲している。しかし、1932年に禁酒法が撤廃され世の中が落ち着いてくるに従って1930年半ば頃からギャング映画は製作本数が少なくなり、その内容も追われる者ではなく、取り締まる側から描き、アクションよりもむしろ彼らのはびこる環境や性格描写に重点が置かれるようになった。ギャングをヒーロー化して世間の反感を買い検閲が厳しくなったため、アメリカ映画製作者配給協会が自らの手によりプロダクション・コードと呼ばれる自主規制を設けたことも要因になっている。「暗黒街の顔役」「仮面の米国」も発売中。 参考文献: キネマ旬報社刊「アメリカ映画史」

 暗黒街(1927)   犯罪王リコ(1930) 
 犯罪王デリンジャー(1945)  都会の叫び(1948)
 夜の人々(1948)  拳銃魔(1950)
 明日に別れの接吻を(1950)   



ハンフリー・ボガート
Humphrey Bogart

 1899年に外科医の父とイラストレーターの母の間にニューヨークで生まれる。第一次大戦で海軍に入隊、除隊後に映画界入りするが芽が出ず、1935年に舞台の「化石の森」でレズリー・ハワードと共演。以降、ふたりは生涯の友となる。1936年にはこの舞台が映画化されることになり、ハワードが強く推薦してギャング俳優ボガートが誕生した。1945年にローレン・バコールのデヴュー作「脱出」で共演した彼女と4度目の結婚し、その後も数本の作品で共演。1951年に「アフリカの女王」でアカデミー賞主演男優賞を受賞するが1957年、食道ガンに冒されて死去。 参考文献:キネマ旬報社刊「世界映画人名事典」。


 デッド・エンド(1937)  脅迫者(1951)


ジェームズ・キャグニー
James Cagney

 1930年代前半のギャング映画全盛時代にE.G.ロビンソンと共に売り出し、1939年から43年まで連続してマネー・メーキング・スター・ベストテンに選ばれる。ミュージカルでも才能を発揮して1942年「ヤンキー・ドゥードル・ダンディー」でアカデミー賞主演男優賞を受賞。生粋のニューヨーカーであり、小柄ながら早口できびきびとした身のこなしが印象的である。1957年には監督として「地獄への近道」を手掛けるが、1961年の「ワン・ツー・スリー」を最後に事実上の引退をして隠遁生活に入る。1986年に86才の生涯を閉じた。 参考文献:キネマ旬報社刊「外国映画俳優全集」。


 民衆の敵(1931)  Gメン(1935)


リチャード・ウィドマーク
Richard Widmark

 1914年生まれ。レイク・フォレスト大学で英文学と演劇を学び、卒業後は同校の講師として教壇に立つが、演劇への夢を捨てきれずニューヨークに出る。42年に脚本家のジーン・へーゼルウッドと結婚してハリウッドに乗り込むが目が出なかった。しかし、「死の接吻」のスクリーン・テストでようやく認められ鮮烈なデヴューを果たし、そのハイエナのような不気味な笑いが評判になった。たちまちギャング映画で悪役としての地位を確立。その後も西部劇、スリラー等に幅広い活躍をしたが、2008年3月に93歳で亡くなった。遺作は96年の「ワイルド・ビル・ウェルマンの生涯」。


死の接吻(1947) 情無用の街(1948)
街の野獣(1950) 拾った女(1952)