英語のモーション・ピクチャー、即ち文字通り動く映像から出発した映画で、エジソンは当初から自ら発明したシリンダー式蓄音機と映像を結合させる試みを始めていた。1893年のシカゴ万博では音がイヤホンから流れ、映像はのぞき穴から見る方式で公開。1896年にはフランスのパテ社がこれを改良するが、問題は音と映像がシンクロ(同調)しないことであった。この難題を解決したのが電話の発明者グラハム・ベルである。1924年に、音を光に変えてフィルムに感光録音させる現在のトーキー方式”ムービートーン”を完成させた。フォックス映画社のウィリアム・フォックスはこの発明に出資していたが、好況な映画産業の中でトーキーにあまり乗り気でなく、リンドバーグの大西洋横断飛行をはじめとするニュース映画に活用するにとどまっていた。世間もトーキーの将来に懐疑的であったが、これにいち早く目をつけたのが当時弱小会社のワーナー・ブラザース映画社であった。サム・ワーナーが1926年8月に効果音と音楽をつけた「ドン・ファン」をブロードウェイで公開したのがはじめてのサウンド映画といわれている。1927年7月にはセリフの入る最初のオール・トーキー映画「紐育の灯」を公開したが、映画史に残っているのはこれより3ヶ月前にパート・トーキーで上映された「ジャズ・シンガー」である。当時としては記録的な350万ドルの興収をあげたが、トーキーに最も熱心であったサム・ワーナーは映画公開の翌日に息を引き取っている。いずれにしてもこの成功がきっかけとなり、映画界はトーキー時代の幕開けとなった。  参考文献:キネマ旬報社刊「アメリカ映画史」「世界映画記録全集」


 ラ。ボエーム(1926)   スザン・レノックス(1931) 
 奇跡の処女(1931)  南風(1933)
 飢ゆるアメリカ(1933)   絢爛たる殺人(1934) 
 彩られし女性(1934)     模倣の人生(1934) 
 一日だけの淑女(1935)    真夏の夜の夢(1935)  
 野性の叫び(1935)    ロミオとジュリエット(1936)
 銀盤の女王(1936)   明日は来らず(1937) 
 ステージ・ドア(1937)   人生は四十二から(1937) 
 カスバの恋(1938)  テスト・パイロット(1938)
ミッドナイト(1939)  雨ぞ降る(1939) 
スタンレー探検記(1939)    女性NO.1(1940)
妖花(1940)  エイブ・リンカーン(1940)
果てなき船路(1940) 奥様は顔が二つ(1941) 
塵に咲く花(1941)  嵐の青春(1942)  
妻と女秘書(1942 恋の十日間(1944)
幸福なる種族(1944)   王国の鍵(1945)
ラブ・レター(1945)  センチメンタル・ジャーニー(1946)  
アンナとシャム王(1946)  ミネソタの娘(1947)
大地は怒る(1947)  聖メリーの鐘(1948)  
ヴィナスの接吻(1948)   カルメン(1948) 
 殺人幻想曲(1948)  四重奏(1949)
甦える熱球(1949
ママの想い出(1949
愚かなり我が心(1949) ボヴァリー夫人(1949)
ジェニーの肖像(1951)
愛欲の十字路(1951)
超音ジェット機(1952) セールスマンの死(1952)
悪人と美女(1952 人生模様(1952)
月蒼くして(1953) 情炎の女サロメ(1953)