目次

 エルンスト・ルビッチ
 ビリー・ワイルダー
 
 ルーベン・マムーリアン
 ジュリアン・デュヴィヴィエ
 プレストン・スタージェス
 キング・ヴィダー


エルンスト・ルビッチ
Ernst Lubitch

 1892年にベルリンに生まれたが、少年時代から俳優を目指してマックス・ラインハルトの劇団で学んだ後、21歳で喜劇俳優として映画界入り。その後、主に脚本家のハンス・クレイリーとのコンビで数々の作品を監督。ポーラ・ネグリを売り出し、エミール・ヤニングスを育てた。ハリウッドに招かれてからは、後年ビリー・ワイルダーに受け継がれた”ルビッチ・タッチ”と称される洒脱なエロティシズムで風俗喜劇に一時代を築いた。トーキーになってからはシネ・オペレッタのジャンルを創造してミュージカルにも貢献。常に手放さなかった葉巻と共にハリウッドに君臨し、パラマウント映画会社の撮影所長を務めていた時期もある。「私の殺した男」も発売中。

 陽気な中尉さん(1931)  極楽特急(1932)
 ラヴ・パレード(1929)  生活の設計(1933)
 天使(1937)  生きるべきか死ぬべきか(1942)
 



ルーベン・マムーリアン
Rouben Mamoulian

 1898年ロシア生まれ。モスクワ大学を卒業後、舞台監督になり1920年に公演でイギリスに渡る。翌年にはアメリカに移ってイーストマン劇場でオペラやオペレッタの演出を手掛けた。ニューヨークのシアター・ギルドを経てブロードウェイで数々のヒット作を出した彼は1929年にパラマウント映画に招かれて映画界入り。舞台の経験を映画製作にあたってすべて捨て去り、豊かな映画的テクニックを駆使して送り出した作品は15本と寡作だが、戦後も主にミュージカルの舞台演出を続けた。「虚栄の市」(1935)で早くもカラー作品を発表するなどトーキー創生期の映画界に多大の貢献をした。





プレストン・スタージェス
Preston Sturges

 1898年シカゴ生まれ。ヨーロッパで教育を受け、第一次大戦では米空軍に従軍。帰還後は劇作家として活躍した。「紳士酒場」が映画化されたことが切っ掛けで脚本を書くようになった。30年代後半にはその地位を確立し、40年には「The Great McGinty」で監督にも進出。その後も自らの脚本で監督もするというユニークな方法で、続々と質の高いスクリューボールコメディを世に出した。しかし全盛期は短く、12本の監督作品はすべて40年代に集中し、50年代に入ったとたん発表の場を失った。第二次大戦の影響もあり、わが国では2本が公開されただけだったが、94年に今回DVD化された3作品が劇場で回顧上映され、改めて彼の業績が見直されたのは喜ばしいことだった。






ビリー・ワイルダー
Billy Wilder

 1906年現在のポーランド生まれ。ドイツの新聞記者として奔放な生活を送っていたが、一念発起して脚本家の道を歩み始める。しかし、当時はヒトラーが力を持ち始めていた頃で、ユダヤ人の彼はアメリカに逃れざるをえなかった。英語に苦労しながらも、ハリウッドでブラケットと知り合い、2人で斬新な脚本を仕上げて多くの監督から重用されることになる。2人の才能を最初に認めたのはルビッチ監督で、彼の手による
「青髭八人目の妻」がヒット作となった。42年には監督に昇進し、次々に従来のハリウッドにはなかった人物を描き出した。やがてブラケットと袂を分かってからも様々ジャンルで傑作を手がけていたが、57年にI.A.L.ダイヤモンドとコンビを組んでからは上質な洒落たラブ・ロマンスを撮り続けるようになった。「皇帝円舞曲」もDVD発売中。

 少佐と少女(1942)  異国の出来事(1948)
 熱砂の秘密(1943)  地獄の英雄(1951)







ジュリアン・デュヴィヴィエ
Julien Duvivier

 1896年にフランス北部で生まれる。当初は俳優としてオデオン座の舞台に立っていた。やがて映画界に移り、助監督を経て19年に監督になるが、サイレント期は観るべき作品は少ない。しかし、トーキーになると花が開き、芸術至上主義の映画界にあって、出会いと別れ、数奇な運命に翻弄される人物等の通俗的なテーマが観客の好みに合って、とくに我が国で注目されるようになった。30年代に公開された作品の多くがヒットし、フランス映画黄金期を代表する監督のひとりである。ジャン・ギャバンの才能を見出し、売り出しに貢献したことでも名高い。。第二次大戦中は戦火を逃れてアメリカに渡り、
「運命の饗宴」を含む作品を手掛け、その一流職人としての技を発揮。戦後も故国に戻って精力的に活動を続けていたが、1967年にパリで運転中、心臓麻痺で急死した。

 にんじん(1932)  陽気なドン・カミロ(1951) 
 白き処女地(1934) パリの空の下セーヌは流れる(1951)
地の果てを行く(1935) リディアと四人の恋人(1941) 
運命の饗宴(1942)  肉体と幻想(1943  
陽気なドン・カミロ(1951) ドン・カミロ頑張る(1953) 




キング・ヴィダー
King Vidor

 15才の時にメリエスの「月世界旅行」を観て映画の魅力にとりつかれて短編映画を自ら撮り始めた。17年にハリウッドに渡り、翌年には監督になった。その後、「涙の船唄」で注目され、25年の「ビッグ・パレード」で大監督としての地位を確立した。トーキーになってもその技法にはさらに磨きがかかり、多くのメロドラマや、社会派的テーマを扱った名作を世に送り出した。78年にそれまでの功績を称えて、アカデミー賞名誉賞を受賞している。「テキサス決死隊」 「結婚の夜」 「摩天楼」も発売中。


 街の風景(1931)  南海の劫火(1932)
 シナラ(1932) 
東は東(1951)